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日向灘地震 (1498年) : ウィキペディア日本語版 | 日向灘地震 (1498年)[せんよんひゃくきゅうじゅうはちねん ひゅうがなだじしん]
1498年日向灘地震(せんよんひゃくきゅうじゅうはちねん ひゅうがなだじしん)は、グレゴリオ暦1498年7月9日(明応7年6月11日、ユリウス暦1498年6月30日)に発生した地震である。1498年日向地震とも呼ばれる。また、この地震を指して単に日向灘地震(日向地震)と呼ぶ場合もある。 == 概要 == 震源地は現在の大分県佐伯市沖で、マグニチュードは7.0-7.5と推定される。 『九州軍記』によれば卯刻(6時頃)から地震が起り、巳刻(10時頃)に大地震があって災害は全国に及んだという。九州で山崩れがあり、別府の延内寺では爆発が発生、寺院は住職もろとも吹き飛び、地が裂けて熱泥が噴出、現在の坊主地獄ができたという。 そのほか各地で山崩れが発生、鳥居・石碑は過半倒れ、死者多数と伝えられている。伊予でも土地の陥没〔高橋治郎 四国の斜面災害史 愛媛大学教育学部紀要. 第III部, 自然科学. vol.20, no.2,p.11-26〕など地変が見られた。 同日の未~申刻(15時頃)に京都、奈良、熊野、三河、甲斐でも強震であったという。遠江で山崩れ、紀伊や三河で津波が起ったともされる〔都司嘉宣(1981):明応地震の津波は和歌山をおそった -東海沖巨大地震の歴史をさぐる(話題) , 科学51(5), p329-333.〕。
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